2004年 10月 31日
\(^o\)祝!私の45歳のお誕生日~(/o^)/ |
確認したわけではないが、昭和34年10月31日は日曜日だったらしい。
晴天!、出産の兆候はまだないと母は思っていたらしく、父は職場の運動会に参加していたらしい。ところが昼前くらいから「?」って思った母は、用意していたいろんなものを持って自分で歩いて近所の産婦人科病院まで行ったとのこと。私は第一子だったが、ずっと経過は順調だったらしく、真昼間の12時30分におぎゃあと生まれたらしい。
私がなにやら問題を起こしたときに、必ずといっていいほどこの時の話が出た。
母「私はこの子を産む時、一人だった、お父さんは運動会に行っていて、側についていてくれなかったじゃないの!」
父「だって、予定日はまだ先だったじゃないか…」
今のように携帯電話があるわけじゃなし…父も酔っ払って帰ってきたらしいけど、母の書置きを見て病院に行ったっていうんんだからま~しかたないよね。
母「あの時お父さんが側にいてくれなかったから…それに、私はこんな子に育てた覚えはないわ!」
明らかに母は混乱していた。母は当時仕事で忙しくしていた父をなかなか頼ることができずにいて、それでも必死で頑張ってきたということを言いたいらしい、「父親不在」だったことが私が不良になった原因だと思い込んでいた。でもちがうよ~多分。
それから、毎年のこの時期のこと、
母「お父さんのお誕生日プレゼントは終生贈る必要はないのよ」
父「なぜだ?」
母「かわいい娘を産んであげたじゃないの、こんな素敵な贈り物は他にないわよ」
ちなみに父の誕生日は11月1日。
父「だったら同じ誕生日がよかったな~」(のんきな父)
母「前日に産んでおかないと、誕生日にご対面~なんてできなかったでしょ」(そっか~確かに出産直後は抱っことかできないよな~)
一言余計なことを…「それに運動会の打ち上げで飲んできて、どうせ翌日でないと子の顔なんて見れなかったでしょう~」(母はとにかくこの日のことを根に持っているらしい)
う~ん、よくわからない理屈だ。しかも「素敵な贈り物」っていう部分で、いかに両親が私を持てあましていたかわかる、いやみだろ~それって。
両親の結婚記念日は昭和34年2月1日、私の誕生日は10月31日…それっておかしいよね~って言ったら、そのときだけは両親が二人で必死になって、あら~ハネムーンベイビーなのよ~って「だって、2月は1日だし、それに予定日は11月だったのに10月末日に生まれたんだから、計算はあってる」とのこと、へ~そう、別にいいんだけど…っていうかぁ、そんなにむきにならなくても…
何かしら大切な行事があるときなど、いつも天候に恵まれていて、そのたびに「晴れ子」と言われてきました。生まれた日が晴天だったからってそんな~とも思いもしたけど、ここぞという時・勝負の日に、悪天候で阻まれたなどという記憶がないのは確かです。でも、運動会だっていっつも晴天でしたから…雨降って延期とか中止とかなかったですから…残念。
お父さん、「こんなお誕生日プレゼントでごめんね~」、それと「こんな娘でごめんね~」…と思いつつ親不孝の数々を重ねてきたわけですが、そんな娘も…もう「娘」ではなく、立派な熟女となりました。
お友達から頂いたお誕生日お祝いのお花。ジモティ飲み友達のあべっちから、ふくちゃんの工房のお花です。うれしくて、ありがたくて、静かな秋の夜長…この花を眺めながらゆっくりと一杯飲みました。「花より団子」の私のために、ふくちゃんが「お友達紹介」と、お花の名前をカードに書いてくれていました。
コスモス、オーソンガラム、デンファレ、スプレーギク、レースフラワー、姫りんご、ピットストラム、ミント、アイビーです。テーマは「幸せ集まれ」、どんどん幸せよこ~い!ですよ。
晴天!、出産の兆候はまだないと母は思っていたらしく、父は職場の運動会に参加していたらしい。ところが昼前くらいから「?」って思った母は、用意していたいろんなものを持って自分で歩いて近所の産婦人科病院まで行ったとのこと。私は第一子だったが、ずっと経過は順調だったらしく、真昼間の12時30分におぎゃあと生まれたらしい。
私がなにやら問題を起こしたときに、必ずといっていいほどこの時の話が出た。
母「私はこの子を産む時、一人だった、お父さんは運動会に行っていて、側についていてくれなかったじゃないの!」
父「だって、予定日はまだ先だったじゃないか…」
今のように携帯電話があるわけじゃなし…父も酔っ払って帰ってきたらしいけど、母の書置きを見て病院に行ったっていうんんだからま~しかたないよね。
母「あの時お父さんが側にいてくれなかったから…それに、私はこんな子に育てた覚えはないわ!」
明らかに母は混乱していた。母は当時仕事で忙しくしていた父をなかなか頼ることができずにいて、それでも必死で頑張ってきたということを言いたいらしい、「父親不在」だったことが私が不良になった原因だと思い込んでいた。でもちがうよ~多分。
それから、毎年のこの時期のこと、
母「お父さんのお誕生日プレゼントは終生贈る必要はないのよ」
父「なぜだ?」
母「かわいい娘を産んであげたじゃないの、こんな素敵な贈り物は他にないわよ」
ちなみに父の誕生日は11月1日。
父「だったら同じ誕生日がよかったな~」(のんきな父)
母「前日に産んでおかないと、誕生日にご対面~なんてできなかったでしょ」(そっか~確かに出産直後は抱っことかできないよな~)
一言余計なことを…「それに運動会の打ち上げで飲んできて、どうせ翌日でないと子の顔なんて見れなかったでしょう~」(母はとにかくこの日のことを根に持っているらしい)
う~ん、よくわからない理屈だ。しかも「素敵な贈り物」っていう部分で、いかに両親が私を持てあましていたかわかる、いやみだろ~それって。
両親の結婚記念日は昭和34年2月1日、私の誕生日は10月31日…それっておかしいよね~って言ったら、そのときだけは両親が二人で必死になって、あら~ハネムーンベイビーなのよ~って「だって、2月は1日だし、それに予定日は11月だったのに10月末日に生まれたんだから、計算はあってる」とのこと、へ~そう、別にいいんだけど…っていうかぁ、そんなにむきにならなくても…
何かしら大切な行事があるときなど、いつも天候に恵まれていて、そのたびに「晴れ子」と言われてきました。生まれた日が晴天だったからってそんな~とも思いもしたけど、ここぞという時・勝負の日に、悪天候で阻まれたなどという記憶がないのは確かです。でも、運動会だっていっつも晴天でしたから…雨降って延期とか中止とかなかったですから…残念。
お父さん、「こんなお誕生日プレゼントでごめんね~」、それと「こんな娘でごめんね~」…と思いつつ親不孝の数々を重ねてきたわけですが、そんな娘も…もう「娘」ではなく、立派な熟女となりました。
お友達から頂いたお誕生日お祝いのお花。ジモティ飲み友達のあべっちから、ふくちゃんの工房のお花です。うれしくて、ありがたくて、静かな秋の夜長…この花を眺めながらゆっくりと一杯飲みました。「花より団子」の私のために、ふくちゃんが「お友達紹介」と、お花の名前をカードに書いてくれていました。
コスモス、オーソンガラム、デンファレ、スプレーギク、レースフラワー、姫りんご、ピットストラム、ミント、アイビーです。テーマは「幸せ集まれ」、どんどん幸せよこ~い!ですよ。
by notitia
| 2004-10-31 00:38
| 今日はなんの日?